本当です!私が癌(がん)で手術をしていただいた大きな病院では、ドラマ『白い巨塔』みたいな“教授回診”は今でも本当にありました。私もドラマ『白い巨塔』(放送予定→テレビ朝日放送(2019年5月22日~26日5夜連続ドラマスペシャル)は、映画や過去のテレビ放送で見たことがあり好きでした。しかし、このような江戸時代のお代官様を思わせる縦社会の病院が現実にあるとは、思ってもいませんでした。
私の入院している大きな病院では、まるでドラマ『白い巨塔』みたいな教授回診が本当にありました!この記事では、私が癌(がん)で入院した時の実体験を元に記載させていただきました。
テレビ朝日放送の山崎豊子作ドラマ『白い巨塔』(2019年5月22日~26日5夜連続ドラマスペシャル)を見ながら、また、昔の『白い巨塔』の映画やドラマのDVDや小説などを鑑賞いただきながら、この記事を楽しんでいただければ幸いです。
ドラマ『白い巨塔』とはいったいどんなドラマ&映画なの?
『白い巨塔』とは、1963年9月15日号から1965年6月13日号まで、『サンデー毎日』に連載され山崎豊子によって書かれた小説です。単行本『白い巨塔』(1965年、新潮社)、1966年に映画化(主演:田宮二郎)され、その後、多数ドラマ化される。近年では、2003年フジテレビ制作(主演:唐沢寿明)、2019年テレビ朝日制作(主演:岡田准一)などがある。
浪速大学に勤務する財前五郎と里見脩二という対照的な人物を通し、医局制度などの医学界の腐敗を鋭く追及したストーリーです。山崎豊子作品の中でも特に傑作と言われています。また、この小説の主人公の財前は胃がんで最期遂げますが、現代では、胃がんは早期発見をすれば、かなりの確率で回復をします。この小説が生まれた当時、胃がんは癌(がん)の死亡原因第1位でした。
もちろん、この小説が生まれた当時、私のかかった癌(がん)は、5年生存率は0パーセントでした。だから、私が今、行っている免疫力をアップして癌(がん)細胞退治することや、また癌(がん)の再発を防止を行うことは、想像すらつかなかったと思います。
―出典: 『白い巨塔』はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部抜粋―
ドラマ『白い巨塔』の大名行列みたいな【教授回診】が本当にあった話!
私が癌(がん)の手術していただいた大きな病院では、毎週火曜日に《教授回診》と呼ばれる大名行列みたいな回診がありました。まさにあのドラマ『白い巨塔』で見たような光景と同じです。私が手術していただいた病院でも『きょうじゅ』と呼ばれるとても偉い先生を先頭に、入院患者さんのところを一部屋、一部屋、巡回して行きます。准教授や医師、看護師、研修医など総勢約40名でぞろぞろとまわり、一人ひとり患者さんを巡回して行きます。
それは、私が癌(がん)手術を受けて、ちょうど6日目になる火曜日の朝のことでした。朝から病院内の空気は一変していました。病室の外では何やら慌ただしくバタバタと走る音がしていました。
「中村さん、今から教授回診が始まります!」
なにやら慌ただしく婦長さんが、私の部屋に訪れて、こう言って去っていきました。私は何のことなのかよくわからないまま病室で待っていると、病室のドアから凄まじい光景が見えてきました。こんな光景を私は生まれて初めて見ました。その光景はまるで江戸時代の大名行列みたいな感じがしました。
まるで、教授と呼ばれているお殿様が家来をたくさん引き連れて、病室を一部屋、ひとへや、回っている様でした。患者さんは皆、お殿様に声をかけていただいたように何度もペコペコお辞儀をして、かしこまっているように見えました。
私もドキドキしながら私の順番を待っていました。事前にこの教授巡回のことを知らされていなかった為、どうやって教授にリアクションをとればよいのか、また、どうすれば失礼に当たらないのか?病状について本当のことを言えば良いのか?それとも本当のことを言うと普段を世話になっている執刀医や担当師、また看護士さんの立場が私の一言によって立場が悪くなるのではないのか?などと考えていました。
そうこう悩んでいる間に私の部屋に偉い教授と共に沢山のスタッフが私の狭い個室に来て下さり、部屋は医療スタッフでいっぱいになりました。もちろん、私の執刀医、担当医、担当看護師の皆さんもみなさん勢揃いしていました。そして、スタッフの皆さんは教授にとても気を使っていました。
私は武道をしているので、厳しい縦社会はそんなに驚くことはありませんが、私が小さいときに見たドラマ『白い巨塔』と全く同じ光景を自分が体験することになるとは、予想もしていなかったので、かなり驚きました。
そこで、私も意を決し本当の病状を教授に伝えることにしました。最近、熱が下がらなくて困っていること。つい最近まで水も喉に通らないほど調子が悪かったこと。すべて正直にお伝えしました。
私の心配もよそに、教授は私に優しい言葉をかけてくださいました。そして私の体調をとても心配していただき、そこに居合わせた多くのスタッフと真剣に協議してくれていました。その協議は、患者の私が次の患者のことを心配するほど多くの時間を割いてくださいました。
そして長い協議が終わり、教授が私の部屋を出る時に、とても優しいお言葉までかけてくださいました。私が最初に抱いた教授へのイメージは、とても威張っている人だと感じました。それで、医師や看護士がペコペコして、だから患者さんまでペコペコしていると思いました。
しかしながら、それは私の大きな勘違いでした。職場での地位が高くて、私の執刀医や担当医、看護士や研修医その他の医療スタッフは敬意を示していたのかもしれませんが、患者さんは、教授の優しさやその人柄に感謝をして頭をさげていたのだと感じました。
まとめ
ドラマ『白い巨塔』のような教授回診は、実際に本当にある。
病院の教授は威厳がある。
しかし、患者さんがその偉い教授にペコペコ頭を下げているのは、その教授の優しい人柄に感謝をしている姿なのです。
【癌(がん)日記!術後6日目】
一昨日までの私の病状は、自分の口で水分を補給できないほど、深刻な病状でした。水分補強は点滴に頼っていました。看護師さんが入れ代わり立ち替わり、水分を自分の口から多く摂取するように指導してくださいました。
しかしその看護士達の手厚い看護のおかげで、昨日から少しずつ水分を取れるようになるまで、私の病状は回復してきました。私のベッドの横にキープしてあった、2リットル入りの水はあっという間に空っぽになりまた。
2時30分、検温37.9度。熱が高いので、氷枕をしてもらう。オシッコが出にくいので、当直の看護師さんに来ていただく。私の体の向きを横向きに変えると、たまっていた尿が滝のように出てくる。尿が長い間、出なかった為、私の張っていたお腹がすっきりする。そして先ほどまで、痛かった尿道も痛みがなくなる。
3時00分、再び検温。37.9度。オシッコの受ける容器がうまく作動しない。夜勤の看護師さんが、夜中にもかかわらず悪戦苦闘末、新しい容器と交換してくださり、ホッとする。
4時12分、検温37.7度。若干さがる。
6時02分、検温37.4度。夜通しの看護師さんの親切な看護のお陰で、座薬を使用しなくても自然に熱が下がる。心配して下さっていた、夜勤の看護師さんと共に喜ぶ。幾ら仕事とはいえ、夜通しで看護してくれた看護士さんに感謝!
7時30分、検温37.8度。体が燃えるようにカッカと熱いので検温していただく。再び熱が上昇する。
8時00分、朝食。熱のお陰で、食欲は全くなかったが、早期回復を目指して口に無理矢理押し込む。パン2枚、バター、林檎ジャム、みかん半分、アップルジュース、差し入れでいただいたフルーツゼリーを食べる。
9時00分、偉い教授による《教授回診》。
10時00分、コルセット屋さんが出来上がった私のコルセットをもって来ていただく。このロボットみたいな堅いコルセットに、私は約一年もの間お世話になるかと思うと不安になる。
10時50分、手術後、初めての排便を看護士さんから与えていただいた薬を使用して行う。排便を行う時、お腹に力が入らず排便がなかなか出てこない。数日間溜まった排便の量が多くて、お腹がすごく痛くてなり、私はベッドをのたうちまわる。タオルを口に挟んで歯をくいしばり痛いのを我慢する。
12時30分、一時間程苦しい思いをする。とうとう我慢の限界に達し、ナースコールをして看護士さんに来ていただく。ようやく一週間分の排便500gが出る。看護師さんいわく、手術後の排便は柔らかすぎず、かたすぎないちょうどのが良いのだそうです。手術前から排便について、私はとても悩んでいたのでとてもホッとする。お世話をしてくださった、看護士さんに本当に感謝する。
14時00分、胸のレントゲンを取るために私の病室までレントゲンが歩いて来てくれる。あんなに大きなレントゲンの機械が私の病室まで来てくれ感激する。最近の医療の進歩で機械自ら患者の病室まで来てくれるようなシステムになりました。
15時00分、担当医師に体のから出ているドレーン《くだ》を一本抜いてもらう。これで私の《ドレーン》は残り5本となる。大家さんと私の教室のご父兄が見舞いに来て下さる。
17時00分、看護士さんに大手術の時以来つけたままになっている点滴の針を新しいものと付け替えていただく。
17時30分 検温37.4度。看護士さんに氷枕を交換していただく。頭が熱のせいで、ガンガンする程いたいので、マメに氷枕を交換していただくと、本当に助かる。
18時30分、夕食、パン2枚、ハンバーグ、メロン、煮豆、塩もみキャベツをたいらげる。昼食は体調が悪く全部残したが、夕食は全部残さずに完食出来た。
21時00分、免疫力向上の勉強をして就寝。