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私は大きな勘違いをしていた!
私は癌(がん)の痛みを仕事の疲れやなどの精神的なストレスからくる痛みだと勘違いしていました。私の勘違いの間に癌(がん)は静かに私の体を蝕んでいました。私の癌(がん)は宣告されるずっと以前に発症し、それから静かに私の体を蝕んでいました。
検査を受け、主治医から癌(がん)と宣告された時、私は周りの景色が私の視界からだんだんと消えていきとうとう真っ白になり、あたりは白くひかり目の前の景色が何も見えなくなってしまった。自分はいつの間に癌(がん)にかかってしまったのだろう?しかも医者が言うには癌(がん)の進行はステージ4それも末期だというのだ。私のがん細胞は太い私の背骨を全部食べ尽くし、レントゲンでみると背骨が空洞になっていた。
(ここには当時のレントゲンの写真を入れる予定です)
こんなに元気なのにいったい私の体はどうなってしまったのだろうか?
私はこんなに元気なのにいったい私の体はどうなってしまったのだろうか?当時を振り返ると、癌(がん)と宣告された直後、私の体はどこも痛くはありませんでした。それどころか”こんなになるまでどこも痛くなかったのですか?”主治医に訪ねられても私はこの時、体のどこにも痛みを感じていなかったので、痛みに関して思い当たることがなく”どこも痛くありません”と答えていました。
よくよく振り返ってみると癌(がん)にかかったという思い当たる事項があった!
この時は緊張していて気がつかなかったが、よくよく振り返ってみると思い当たることがありました。確かに以前から仕事の途中で、時々”くるったほどの激痛”が背骨にはしることがあった。まるでものすごい量の”電気が背中にビリビリと走る”かのような痛みだった。その痛みがまさか癌(がん)によるものだと当時の私は想像すらできませんでした。
当時、会社の存亡をかけてひたすら仕事をしていたので、私はその癌(がん)の痛みを、仕事の疲れやなどからくる精神的な痛みだと勘違いしていました。“これしきの仕事で精神的な痛みがでるとは、たるんでいるぞ!”と自分によく喝をいれたものでした。
人間なら誰でも癌(がん)細胞が体の中にある
今、思うと当時、私はこの癌(がん)の検査をするずっと以前から背骨の激痛が始まりだしました。人間なら誰でも癌(がん)細胞が体の中にあることを、手術の後、自分で勉強しました。当時、私は会社の存亡をかけ、私の体と心は常に緊張状態にありました。
また、私はイライラすることが多く、気持ちはいつもピリピリばかりしていました。仕事がピークになると、私の睡眠時間は4時間とれればよい方で、冬には除雪作業が入ると、寝ない日もざらでした。
食事は、ほとんど外食ばかりでした。ゆっくりお風呂に入ってのんびりするという心の余裕すらありませんでした。癌(がん)検査で気がつきました。私の体温はこの時すこぶる低下していました。私は小さいときから体温が高めな少年でした。私は少年時代活発な少年で体温は通常でも36.8度前後ありました。
しかしながらそれから成人し、私の人生で一番仕事がハードになった、この頃は体温はとても低下していて、35.8度以上にはなりませんでした。
私の体温はしらないうちに低下していました。癌(がん)の大好きな低い体温になってしまっていた。また、仕事没頭するあまり、ついイライラし、当時は笑うこともすっかり忘れていました。イライラや緊張続きで交感神経ばかり使い、笑った時に使う副交感神経を使うことがほとんどなくなっていました。
当時、私の体は癌(がん)の住みやすい環境になっていました。私の癌(がん)の増殖は低体温になってしまったことや緊張状態の中、体内の神経の中で、交感神経ばかりを使うことによって、益々増殖していきました。私の癌(がん)細胞は最初、顕微鏡でしかわからないような小さな細胞だったと思います。それが月日が流れて、気がつけば大きなソフトボールのように容姿をかえて私の背骨の真ん中をくり抜き、すっかり私の背骨の真ん中を食べ尽くしてしまっていました。
(ここに当時の私の背骨を癌(がん)が食いつぶした写真を入れる)
“ちょっとくらい無理しても大丈夫”だと思っていました。
私は“ちょっとくらい無理しても大丈夫”だと思っていました。その気の緩みが癌(がん)を発生しやすい環境にしてしまいました。そして癌(がん)と告知されるずっと以前から私の体に癌(がん)が発症し、静かに私の体をみしばんでいました。癌(が)発症したころ、私に癌(がん)が発症しているとは夢にも思いませんでした。
では、【いったい私は何故?癌(がん)になったのでしょうか?】次週へと続きます。