私が体験した癌(がん)手術、患者の心境を包み隠さずに、記載させていただきました。まだ一度も手術を受けた経験がない方もTVドラマ等で見たことがあると思います。
しかしながら、実際には、TVのドラマだけの情報では足りません。そこで、私が実際に手術を受けて感じた、手術当日の心境を包み隠さずに書かせていただきました。今から手術を受ける皆さんはもちろんのこと、また癌(がん)の手術にご興味がある方必見です。
目次
病院から脱走する患者って本当にいるの?一年間で何人いるの?
手術の当日の朝。昨日から体が痛くて寝ねむることが出来ませんでした。癌(がん)の痛みではありません。痛い原因は2つあります。一つは、昨晩のカテーテル手術を受けたため、私の体内の血管の中が、すごく熱く感じ、ピリピリと体内が火傷になったかのように痛みだしたということです。
もう一つの原因は、手術前日、私の体はベッドと大きいゴムのような包帯で、グルグル巻き固定され、身動きがとれなくなりました。最初は痛くなかったのですが、時間が経つにつれ、ゴムがしまってすごく痛くなりました。ナースコールをしても無駄でした。
私が入院していた大きな病院では、手術が怖くなり、一年間に4~5人が、病院から脱走するとお聞きしました。
私も例外ではなく、“もしおじけづいたら脱走しよう!”と、心の中でほんの少し思っていました。当時、私は全く気がつきませんでした。しかし、今、思うとこのグルグル巻きは、私を脱走しないように病院側が、私の1%の“おじけづいたら脱走しよう!”という私の弱気な気持ちに気づいて、配慮して下さっていたのかもしれません。
話を元にもどします。私は、癌(がん)の大手術の前日から、体が縛られていたので、その縛られている痛みと、カテーテル手術の痛みとが重なり、痛くて眠ることが出来ませんでした。この時は、気力も体力も限界に達し、へとへとになっていました。
(こんなに気力も体力もない状態で手術は成功するのだろうか?)と思ったほど、手術当日、私は疲れ果てていました。
手術に直前の患者の気持ちが知りたい!どんな心境になるの?
私は死刑台の13段を一段、一段登って行くような心境でした。
午前11時過ぎ、午後から手術を開始するということで、私の周りも手術の準備で慌ただしくなってきた。手術着に着替え、最後の検温、脈拍の測定や麻酔の準備など。
そうこうしているうちに、とうとう手術室に向かう時間がやってきました。
「あ~~、このドアを開けて、無事に帰って来ることが出来るのか!」と、私は天を仰ぎ、病室を出ました。
706号室の病室を出ると、長い廊下を動く手術用のベッドに横になり進みます。エレベーターまでの長い廊下が、ますます長く見え、私はその長い廊下を静かに運ばれて行くときに、死刑台の13段を一段、一段登って行くような心境でした。(この廊下も、無事に戻って来ることが出来ないかも知れない)と考えながらエレベーターまでの長い廊下を移動していました。
その長い廊下からエレベーターに向かう時に、私は死刑台の13段を一段、一段登って行くような心境になりました。
いよいよ手術!手術室の中での患者さんの心境はいかに!
私の心は、手術室に入っても、とても穏やかでした。
覚悟という言葉がありますが、まさしくこの時は、本当に覚悟を決めました。自分の命や運命を執刀医の先生や手術のスタッフの皆様に託した瞬間でした。
この病院では、手術の日は木曜日と決まっています。本日、手術を受ける皆様が丸い待合室で手術室の番号の順番に並んでいます。みんな不安そう顔をして待っています。とうとう私の順番がきました。手術は初めて私でしたが、覚悟を決めてしまうと私の心境は意外と落ち着いていました。その心境は、手術室の中に入っても変わりませんでした。
私の心は、手術室に入っても穏やかでした。このような穏やかな気持ちで、手術を迎えられたことは、とてもラッキーなことだと、手術台で思いました。
TVの「コードブルー」とか好きで見ていましたが、手術台の上は本当に手術台の光が目を開けていられないほど眩しかったです。執刀医の先生が私に声をかけてくださる。「私と一緒に3つ数えてください。3,2,・・・・・」と執刀医がいう。私も声をそろえて数をかぞえるが、「1」を言った記憶がない。
手術は予定よりも時間がかかり、14時間に及ぶ大手術となりました。手術は大成功!いたしました。しかし、私はこの手術中に何度も生死をさまよっていました。不思議なことに、この生死をさまよっていることの記憶は、今でも私の脳裏にくっきり刻まれています。この時はまだ、その記憶がわからなかったのですが、あとあとその時の記憶が、くっきりとよみがえって来くることになります。
手術終了直後、麻酔が切れて、体は痛いの?痛くないの?
私の背骨を切断するという大手術だったた為、麻酔が切れたら相当いたいのかと心配していましたが、痛くはなかったです。
「中村さん、中村さん」と執刀医の先生に呼ばれたので、私は長い手術を終え、ようやく目覚めました。気がついたときにはまだ手術台の上にいました。手術のまぶしい光がぼんやりと私の視界に差し込んできました。
しかし、覚えていることはそれだけで、次に気がついたときには、もうCPU(集中治療室)にいました。
まとめ
私が入院していた病院では、年間に4~5人が、病院から脱走する。
私は手術室に向かう廊下で、死刑台の13階段を、一段、一段、登って行くような心境になった。
しかし、手術室に入った時は、とても穏やかな心境になれた。
手術が終わった直後、痛みは全く痛くはなかった!
この後、壮絶な集中治療室(CPU)のでの戦いへと話は続きます。~つづく~